”ちだニカウ”の雑談 blog

四十親父の今思うこと。

【30代・40代のサラリーマン達へ】 自分に自信がないなら、他人と比べることをやめればいい

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ども!ちだニカウです!

 

先日職場で、部下からこんな話をされました。相談というより、雑談程度でなんですけど。

 

部下(30代)

「この仕事は、自分よりも〇〇に任せたほうがうまくいくんじゃないですかねー」

「〇〇のほうがいろいろ知ってるから、うまく出来ると思うんですよねー」

「ニカウさん、どう思います?」

 

ニカウ(40代)

「何?なんか心配なことでもあるの?」

「君なら必ず成功できる仕事だから、自信をもって頑張れ!ちゃんとフォローアップもするから!」

 

部下(30代)

「・・・・」

 

そこから、心配事をいろいろ言ってましたが、要は自分に自信がなくて、その〇〇と自分を比べてるんですね。まぁ仕事でいろいろ悩むのはいいことだと思ってるんですけどね。それが解決できれば、自身のスキルアップになりますから。

だけど、他人と自分を比べて悩むのは良くないですよねー。解決方法ないですからね。「自分は自分、他人は他人」ですから。

 

世の中には、似たようなこと事で悩んでる人多いんだろうなー と思ったので、今回記事にしました。 わたし自身も、若い時に仕事のこととかでいろいろ悩んでた時期があって、自己啓発とか、心理とかの本を読み漁ったことがありましたので。

 

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目次:

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◆隣の芝生は青いものだ!

 

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私も含めて、みんなそうですけど、自分を認めようとすると、すぐにネガティブな理由(比較とか競争とか)を引っ張り出して、否定しようとしてしまいますよね。


「いやー自分は今日これだけ頑張った!」と思っても、すぐに「でも、自分よりもっと頑張ってる人がいるしなあ」とか「どれだけ頑張っても結果が伴わなければダメじゃね」とすごく厳しく自分に返します。
まるで自分を貶めることが趣味のように、かなりドSに自分自身を扱っていません?

 

でも、こういう人のほとんどは、自分に厳しいなんて自覚はほとんど無いんですよね。

「当たり前」とか「普通」と思っていることが多くて、「それってすごく自分に厳しくない?」と言っても、

「全然そんなことありません!!」 みたいな(笑)くい気味で(笑)
 

みんなそうですけど、自己嫌悪とか劣等感で、「自分の悪いところと相手のいいところを比べる」ことをよくやっちゃいますよね。

これは、わたしが読んだ本の中では「隣の芝生は“常に”青い」とか「常に、より青い芝生を探している」と書いてました。

 

仕事にしても、人間関係にしても、これといった基準がとくに無いのに、この比較の罠にはまっちゃうんですよね。


例えば、身長とかの大小は数値化できますから、はっきり区別できますけど、「優しさ」とか「かわいらしさ」とか「男らしさ」とか「頑張った度合い」とかは、感覚的なものなので、周りと比べた時点で自分を認めることは難しくなってしまいますよね。

 

逆に、自分が勝っているときに感じるのは「優越感」ですよね。でも、この優越感って実は劣等感の裏返しなので、感情レベルでは同じことが起きているんです。

 

◆比較という罠にはまる!

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よく自分の欠点と相手の長所を比べてしまうんですけど、それってなんでですかね?


 いろんな理由があると思うんですけど、その一つは思春期の頃の完璧主義な面から来ているみたいなんです。


思春期に入ると「個別化」っていうんですけど、人と自分との違いを意識するようになるんです。その違いを認識する方法が、自分は周りに比べて「劣っている」とか「優れている」というふうになっちゃうんですよね。

 

あなたも、クラスの中のかっこいい男子とか、かわいい女子と自分とを比較して落ち込む事ってありませんでした? わたしは、しょっちゅうありましたけど( ˘•ω•˘ )

 

背が高いとか、目がおおきいとか、髪がきれいとか、性格や友達まで。持っているものは全てが比較対象になるんですよね。

 

で、その頃は自分に不完全さを感じているから、それを補うことで完璧なものに憧れて、惹かれるんですよね。

 

自分が成長するにつれて、ルックスとか持ち物とか内面にも興味が移っていくんですけど、その比較のパターンは引き継がれていくんです。

 

そうすると学生の頃は、垂れ目で癖毛な自分が嫌いだったんだけど、大人になるにつれて、引っ込み思案で人目を気にする自分が、嫌いになったりしちゃうんですよねー。
もう垂れ目なのは前ほど気にならなくなっているのに。

 

そういうパターンを見ると、なぜか、自分たちは“敢えて”自分のことを認めないようにしているように見えちゃいますよね。

 

◆どうして自分を認めたくないの?

 

自分で自分のことを認めてしまうと何か不都合でもありますか?

 

意識的には「そりゃあ、自分に自信が持てればもっと生きるのが楽になるし、人に対しても、もっと素直に接することができるんじゃないかなあ」と思いますよね。

 

でも、心の中では「天狗になっちゃうじゃない?」「自分だけ浮いちゃうんじゃない?」「嫉妬されるんじゃない?」「足元を掬われるちゃうんじゃない?」という不安で気持ちがいっぱいになっちゃいますね。

 

 だから、自分で自分を認めるときには、すごく厳しい条件で、客観的な水準を満たして、100人に聞いて100人が全員OKを出してくれなければダメなような気がしちゃうんです。

 

始めから「自分が自分のことを認めるなんてあり得ない」と思っているような感じさえ伝わってくることもあって、「自分のことが嫌い」になっているのかもしれません。

「自分のことが嫌い」が義務であるかのように。

 

◆自分のことを許してあげてね!

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あなたが、「成長したい、自分のことを認めてあげたい」と思っているのなら、一つ 自分でチャレンジしてみてください。

 

それは「自分を許す」ということ。

 

すぐに、完ぺきにやろうと思わないことが大切なのでね。

自分を酷く扱った自分自身を許すこと。
その時に、比較という負のスパイラルから抜け出して、「自分自身の芝生が青く」見えてくるかもしれませんよ!

 

この記事を書くのに、久々に本を引っ張り出して読み直したので、なんか、自分でも若い時のことを思い出しました。(*^-^*)

 

あんまり、周りと自分を比べなくていいんですよー。周りと違くても、それは劣っているんじゃなくて、あなたの個性ですからね。優劣ではありませんよー

 

ではまた(●´ω`●)